TREK madone 5.9SL Discovery oclv110 Bontrager Aeolus 6.5 トレ子ちゃん FSA vision tech DH  shimano7800 DURA-ACE nokon king
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DISCOVERY PRO CYCLING TEAM

'07トレ子仕様書


'06TREK DISCOVERY
 
フレームTREK madoneSL5.9
チューブ oclv 110
フォーク  bontrager xXx
ヘッド クリスKING
コンポ シマノ 7800DURA-ACE
チェーン   KMC
ギア比    55-42/12-25
メーター MAVIC WIN TECH
ステム一体式
サドル selle sanmarco  セラ サンマルコ ASPIDE SUPERLEGGERA  
seat post  RITCHEY WCS carbon post   
ペダル  シマノPD-7810
ボトルケージ  bontrager xxx carbon
ワイヤーケーブル ノコン一式



▲UP
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ランス・アームストロングLance Armstrong, 1971年9月18日 - )は、アメリカ合衆国自転車選手で、睾丸癌との闘病の後、ツール・ド・フランスでは前人未到の7年連続総合優勝(1999年から2005年)を達成。彼の他に7勝した者は居らず、5勝した者は、ジャック・アンクティルエディ・メルクスベルナール・イノーミゲル・インデュラインだけである。その中ではインデュラインだけが5連勝を達成している。

アームストロングは史上最も偉大な自転車選手の一人であり、過去数年闘病で苦しめられた事を考慮すると彼の業績は一層顕著なものである。その活躍は広く知られ、多くの賞も受賞してきた。2002年にはスポーツ・イラストレイテッド誌の年間最優秀スポーツマン(Sportsman of the Year)に輝き、2002年・2003年のAP通信年間最優秀男性アスリート、2003年・2004年のESPNのESPY賞最優秀男性アスリート、2003年のBBC年間最優秀スポーツ選手賞海外選手部門の各賞を受賞した。

アームストロングのあまりに驚異的な成績にともない、ドーピング違反の疑惑も常につきまとってきた。しかし、彼が禁止薬のテストにひっかかったことは一度も無く、これまで一度として使用したことはないと明確に否定している。

生い立ちと競技生活の始まり

アームストロングはテキサス州プレノ(Plano, Texas)で生れ、母リンダに育てられた。母の自立の精神はアームストロングが強く影響を受けたと彼はしばしば言及している。3才の時、母の再婚により現在の姓アームストロングを名乗る。運動選手としてのキャリアはトライアスロン選手として始め、16歳の時から自分より年長者の競技で戦っていた。やがて、自転車競技での彼の健脚に最大の天性が宿っている事が明らかになった。

アマチュアのサイクリストとして1991年のアメリカ合衆国チャンピオンとなり、バルセロナオリンピックロードレースで14位になり、これを最後に、1992年にプロ選手に転向。次の年、ノルウェーオスロで行われた世界ロード選手権で単独の逃げを決めて優勝し、これが大舞台での初の勝利となった。

モトローラ・チーム(USA)に所属し、1995年のツール・ド・フランスでのステージ優勝1度と数度のクラシック・ワンデー・レースでの勝利など、彼の成功は続いた。前年、2位に入っていた合衆国で最も歴史ある自転車競技ツアー・デュポンに1995年、1996年と続けて優勝し、世界ランク1位を記録した。しかし1996年後半には、ツール・ド・フランスを棄権し、アトランタオリンピックでは12位と期待はずれの結果に終わった。

1996年10月、ランスは睾丸癌に侵され、癌が既に肺と脳に転移しているとの診断を受けた。医師は生存確率を50%と宣告したが、のちに癌からの復帰後、主治医の一人は生存確率はもっと低く(一説には10%以下と言われる)、生存への希望を保ってもらう目的で50%との見積もりをしたと彼に述べている。インディアナ大学医学部での一連の過酷な化学療法と脳の浸潤部の切除後、どうにか回復した。標準的な化学療法には、心肺機能を低減してしまう副作用が知られていたため、競技生活の終わりを意味するものであった。このため、ランスは心肺機能へのダメージがより少ないであろう、より厳しい療法を選択した。小康状態となり、トレーニングを再開したが、彼の所属していたチームのコフィディスから、予想されたことではあったが、事務的に解雇された。結局彼は新たに結成されたUSポスタル・サービス・チームと1998年に契約し、自転車界に成功裏に戻ることが出来る様になった。

ツール・ド・フランス

彼が真に復帰したと言えるのは1999年、ツール・ド・フランスで最初の勝利を得たときである。そしてその後の6年間にわたる連続優勝の業績を成し遂げることになった。アームストロングは、タイムトライアル選手としても、また、山岳スペシャリストとしても、彼の素晴らしい能力により、殆ど無敵である事を示した。この間、総合タイムで2位とのリードは、2003年にヤン・ウルリッヒと1分01秒差であったのを除けば、6分を超えている。

成功の理由

彼はツールに向けてスペインでのトレーニングを積み、ツール・ド・フランスで成績を示してきた。ランス・アームストロングが専らツールの為だけに訓練できるという事が、ライバル達に勝る大きな優位性となっている。アームストロングのその年のツールでの成功は、彼のツールでの働きによってのみ決まるが、他の選手達は生活の糧を得るために多くの競技に出場しなければならず、それがツールに備えるライバル達の体力を消耗させている事になる。アームストロングは非常に低いギアを使いペダルの回転を早くする走法で、主なライバル達を急加速で引き離してしまう事が出来るが、ライバル達は、低い回転数で巨大なギアに力をかけるインデュラインと同じく、上り坂で高いギアを使ってペダルはよりゆっくりと回転させている。アームストロングはツールのもっとも険しい登りでさえも信じられない速度を維持でき、時には山岳スペシャリストさえも一定して彼に付いて行く事が出来ない。

加えて、最も有能な山岳スペシャリストと違い、アームストロングは個人タイム・トライアルでも非凡であり、ライバル選手ヤン・ウルリッヒのように肉体的に、よりふさわしい訓練を受けてきた人達に比べて、勝るとは言わないまでも、殆ど同列である。また、ツールの過去の多くの優勝者と違いアームストロングは山岳ステージで非常に攻撃的で、リードする事が好きで、壮観なアタックをみせる。こうしたアタックは通常各ステージの終盤に見られるが、彼はライバル達を大きく引き離す事ができ、山の遥か麓の戦場にライバル達を散らして置き去りにしてしまう。

だが、彼の5度目のツール優勝で、アームストロングは以前よりも一層、緻密に計算する必要のある走行を強いられた。周辺のライバル達によるすべてのアタックには対応出来なかったが、その代わり第1のライバルであるヤン・ウルリッヒに注意を集中していた。これにより、レース途中のウルリッヒのセンセーショナルな個人タイム・トライアルと共に、ここ数年で最も興奮させられるツールになった。アームストロングは、最終山岳ステージで相手に打撃となるアタックにより決定的なタイムを稼いだ後、ウルリッヒが転倒した滑りやすい濡れた路面と風の吹く最終一つ前のステージで自分の優位を落ち着いて保ちながら、結局、ウルリッヒを丁度1分上回る差で打ち負かした。

家族

アームストロングは、癌からの驚異的な復帰の後に妻との間に男の子を、2年後には双子の女児を授かった。睾丸癌のため、凍結保存精子を用いた人工授精によるものである。しかしながら、夫妻は5年間の結婚生活の後、2003年に離婚した。2004年8月現在、アメリカの歌手シェリル・クロウと交際中である。

※シェリル・クロウとはその後破局。

参考文献

  • ランス・アームストロング(安次嶺佳子 訳): ただマイヨ・ジョーヌのためでなく(ISBN 4062102455)、講談社、2000年8月25日初版
    • 原題 It’s not about the Bike(自転車の話じゃないんだ) (ISBN 0425179613)
  • ランス・アームストロング、サリー・ジェンキンス(曽田和子 訳): 毎秒が生きるチャンス! (ISBN 4054024963)、学習研究社、2004年9月29日
    • 原題 Every Second Counts (一瞬一瞬が大事)(ISBN 0385508719), Broadway Books 2003.

外部リンク





2005年07月25日 

サイクルスポーツ元編集長の「八丁堀曇りのち晴れ」

宮内 忍

第7回「超人ランス・アームストロングの強さの秘密」

 ランス・アームストロングがツール・ド・フランス7連覇の、まさに前人未到の記録を打ち立てた。
 ツールは3週間で3500km走る、"グランツール"と呼ばれる大規模なステージレース。
 ツールにおけるランスの強さの秘密は何だろう。
 まずランス自身が難度の高い山岳コースと、タイムトライアル(TT)の両方に強いオールラウンダーであること。
 山岳、TTのステージともツール総合優勝の要で、歴史をひもとけばこれらのステージで勝負が決している。
 彼の個人的な強さは、トレーニングに支えられている。
 クリス・カーマイケルという専属トレーナーが付き、データを元にした科学的なトレーニングを行なっている。
 その量も「シーズンオフのロードトレーニングでは、1日にイタリア選手の2倍の距離を走る」と、
 イタリアチームに所属していた日本人選手から聞いたことがある。
 年間の目標をツールの総合優勝一本に絞った周到な準備とコンディショニングも見逃せない。
 例年、5月はじめから6月はじめに開催されるジロ・デ・イタリアには出場せず、
 6月のステージレース、ドーフィネ・リベレとツール・ド・スイスを、ツール前の実戦的調整レースとして利用している。
 重要な山岳コースやTTコースは、必ず何度も試走して頭にたたき込んでいる。
 もちろん、ガンに打ち勝った、不利な状況でもあきらめない不屈の精神力も忘れてはならない。
 さらに、強いチームに所属していることが挙げられる。
 これで、ツールでは必ず組み込まれるチームタイムトライアルでアドバンテージを得られるのだ。
 強力なチームにいればアシスト勢にの助力で、体力をセーブできるというメリットもある。
 今年のアシスト陣はまさに世界一で、ほかのチームならエースを務められる人材揃い。
 ジロ優勝で今ツールでステージVを挙げたP・サボルデッリ、
 今ツールで新人賞を獲得しY・ポポビッチ、
 ステージ優勝したG・ヒンカピー、強力クライマーのJ・ルビエラという豪華メンバー。
 チーム以外でも一流スタッフに恵まれている。
 所属チーム、ウエアとシューズのナイキ、テキサス工科大学などが組んだランスを勝たせるオール・アメリカン・プロジェクトがあるのだ。
 その名も"F1プロジェクト"。風洞実験までして、自転車とウエアの空力対策をしているのは、このチームくらいだろう。
 ここで今年のジロを思い出してほしい。
 総合1位のマリア・ローザを着ていたI・バッソが、体調不良(消化器系のトラブル)に陥り、
 たった2日でトップから39分遅れて優勝戦線から脱落したことを。
 ランスには、こういった駅伝で言う"ブレーキ"、すなわち突然の大乱調が7年間起きたことがない。
 ツールでは、高カロリーを摂取し、大量の水を飲む毎日。
 それでも体調が崩れないのは、もともと消化器系が強いのか、それともチーム力や万全のコンディショニングで翌日に疲れを残さず、
 結果的に免疫力が低下せず、身体トラブルに見舞われないのかもしれない。
 強さとは総合的なものだが、大乱調を起こさないことこそが、彼の強さの秘密と見る。
 
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